海外で3倍は暮らしやすくなる。ルールに対するアメリカと日本の考えの違い。

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「じゃ、気をつけてね」
 
昨日自転車に乗っているのにもかかわらず、ついついケータイ電話をとってしまった。
 
仲のいい友達からの電話でもあって、会話はものすごく楽しく、とてもいい気持ちだった。
ただ、その会話は警察の一言によって強制的に幕を閉じた。
 
「止まってくださーい」
 
最悪だ!!!と思った。自転車に乗りながら電話が禁止されてることは、もちろん知っていたし、それなりの罰金を負わされることも知っていた。
 
よりによって、こんなときに...
普段そんな電話しないのに....
 
「なんで今回に限って」
アンラッキーなことに遭遇するとほとんどのひとがこう思うに違いない。
 
警察の尋問は防犯登録確認から始まった。
盗難の自転車でないことがわかると警察は、「自転車に乗りながらの通話は禁止だよ。ま、次から気をつけてね」での一言で終わった。
 
 
僕の頭の中は、???だった。
 
アメリカはこんなもんじゃない
 
なぜ、???かというと、アメリカなら確実に罰金を取られることになってたからだ。
 
日本だと軽いルール違反ならしょうがない。
次からは気をつけてね
で話が終わる。
 
皆、自転車に乗りながら通話をしたら罰金を取られることを知っている。
 
そして、それが警察にばれても、お金を取られないことも知っている。
 
大したことないルールなら破ってもいいと思ってしまう。
 
ところが、アメリカは真逆だ。
 
どんなに小さいルールでも破ればそれなりの罰が待っている。
 
ちょっとしたものなら大丈夫だという意識は無いのだ。
 
 
ここが日本人がアメリカに行くと戸惑う大きな部分だ。
 
日本と違い、アメリカはルールを遵守することを求めることをちゃんと認識していなければ大変なことになる。
 
例えば、ヘルメットの着用義務だ。
 
アメリカだとローラースケート中にヘルメットを着用していないと容赦ない罰金が待ち受けている。
 
「大したことないから大丈夫」っていうのはないのだ。
 
ちゃんとルールを守ろう(アメリカでは)
 
アメリカの方がルールに対する考えが厳しいというのは意外なことだ。
 
日本の大したことないルールへの考え方は、どこか下町で一緒に暮らしているといような共同意識からくる人へ温情が入っているのかもしれない。
 
ただ、アメリカではそんなのは通用しない。
 
愚直なまでにルールを守ることが生活を快適に過ごすコツだ。
 
 

 

今後のITが仕事にどう関わってくるかを読み解く

建築業界ほどIT化が遅れた業界は無い

今日は会社の先輩におすすめされた「BIM建設革命」という本が今後の私達の働き方をうまい具合に示していると感じたため、シェアしようと思う。

 

業界が一変する BIM建設革命

業界が一変する BIM建設革命

 

 

 

端的にいうと、この本は、旧態依然とした建築業界をBIMがどう変えるかを物語っている。

(ちなみに、BIMとは簡単にいうと建設業界に特化したCADソフトという理解で充分だ。)

筆者によると、建築業界ほどITによる変革を取り入れるのが遅かった業界は珍しいらしい。

しかし、私は現段階で建築業界が取り入れたITとの共存は一つの私達の働き方の模範だと考える。

まず、建築業界の仕事がどう変わったかを見ていく

 

 

プランニングの時点でどれだけ人を巻き込めるかが大事

BIMによって建設プロセスが大きく変わった一つが、設計プロセスのピークが前倒ししたことだ。

その理由は、BIMによって今までに2次元で表示されていたものが3次元になり、多くの人々の間でイメージが共有されたからだ。

<BIM導入前>

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<BIM導入後>

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違いは明らかであろう。

2次元だと素人が解読するのはまず無理だ。

対して3次元だと、誰でも見れば分かる。

この「誰でも見れば分かる」が重要だ。

BIMによって今までの設計図や施工図が3Dで表示されることで、多くの人々がプロジェクトの初期段階から参画できるようになった。

つまり、クライアント、施工者、設計者、メーカー、インテリアデザイナーなどといった多くの関係者がかなり早い段階で建築物の建設に関与してくる。

設計者がある程度仕事を進めて設計案が固まってから、他の人にシェアして、意見を聞くというプロセスではなくなった。

もっと早い段階のブヨブヨのアイデアから他の人に意見を聞いて、根本的なアイデアを練り上げていくのだ。

果たして計画の初期段階から多様性があったほうがいいのか?という疑問ができるかもしれない。

ただ、その答えは決まっている。

あったほうがいいのだ。

 

アメリカの企業が世界で通用するのは多様性のおかげ

私は高校をアメリカで過ごしたが、本当にあそこは人種のるつぼだ。

白人、黒人は当然として、アジア人、ユダヤ人、フランス人、イタリア人と色々な人種が混じり合っている。

そんな場所で会社を起こしたらどうなるか?

もちろん、様々な人達が入ってくるだろう。

プロジェクトを立ち上げると、それぞれが自身の国の文化を基にした視野の広い見解をぶつけてくる。

そうして、出来上がった物は、世界で通用するのだ。

なぜなら、他の国の意見がリアルに組込まれているから。

対して、日本の企業はほとんどが日本人で構成されている。

彼等が発信する見解は、日本の文化を基にしている。

他の国のこと見解を述べても、現地の人程リアルなことはいえない。

物作りにおいては、技術力が他を圧倒していればそこまで問題ないかもしれないが、いざ、面白いサービスとなれば、また話は違うだろう。

 

多様な人をまとめるスキル

要約すると、ITは、

①プロジェクトの初期段階から様々な人を巻き込める

②初期段階で多様性があればあるほど、面白いアイデアは生まれる

この二つを可能にする力があるのだ。

そして、この傾向は社会の中でもっともっと大きくなるはずだ。

ITの発達が会社の規模は小さくし、人はプロジェクトごとにチームを組んで仕事をする。

 そんな中で求められる我々のスキルは、複雑でバラバラな人達をまとめあげることだし、雑多の中で自分を発信していくスキルだ。

 

正月だから何もしないってのは幻想

 
 

正月くらいはいいよね

 
1月5日になり、サラリーマンは仕事が始まるし、学生は学校が始まる。
 
そこで、耳にするのが、「正月くらいはいいよね」
の一言だ。
 
例えば、今日51歳になるメタボのおじさんはこういった。
「いやー、もう休み中、ずっと日中からお酒のんでたよ。たまんないねぇ。」
 
そして、こう続くのだ。
 
「まっ、正月どからいいよね」と。
 
 
もうね、アホかと。
 
 
正月だから許されるみたいなあの風潮はなんなんだろう。
 
別に正月じゃなくたって、土日でやればいいじゃないですか。
 
家事とか育児とか野暮用があってできない?
 
いやいや、そんなの集中してパッパッとやればあっという間に終りますやん。
 
だらだらと土日だから何もしたくないとやってるから終わらないんですよ。
 
パッパッとやらなきゃいけないことやって、あとはビールでもウイスキーでも好きなもんをありったけ飲む。
 
そう、まるで新年を迎えたかのように一日中飲む。
 
そんなことだってできるんです。
 
別に正月でしか出来ないなんてことはないんですよ。
 
もっと人生に正月の時みたいに過ごす日をつくりましょう
 
じゃないと人生楽しめないよ。

「宇宙兄弟」なにが凄いのか

宇宙兄弟が面白い

新年。

それは、人がなにをやっていても大方許される貴重きわまりない時間である。

そんな時間を私は宇宙兄弟に費やした。

ただ、全く後悔していない。

そのくらい宇宙兄弟は自分の心を震わせてくれた。

今まで数多くの漫画を読んできたが、宇宙兄弟のなにがすごいのか。

それは、台詞回しにある。

 

宇宙兄弟にみる類希な台詞回し

宇宙兄弟は、主人公が宇宙飛行士である弟の背を追いかけて、自分も宇宙飛行士を目指す物語である。

この説明で分かるように、この漫画ではアクション漫画のようないわゆるド派手な描写はない。

透き通るような宇宙の描写や爆音を響かせてスペースシャトルが地球から飛び立つシーンなどはあって、確かにそういうシーンを見るのは面白い。

ただ、正直、漫画だからこそ描ける描写ではなくて、映画の方がもっと綺麗に見える。

宇宙兄弟が特筆しているのは、むしろその目玉シーンまでの過程だ。

そのシーンを美しく彩どる台詞はこの漫画でしか見れない。

今回はその一つを紹介しよう。

宇宙兄弟の主人公であるムッタが厳しい選択を迫られた時、いつも出てくる台詞がある。

迷ったときはね、「どっちが正しいか」で考えちゃ駄目よ。

日が暮れちゃうわ。

「どっちが楽しいか」

で決めなさい。

主人公の恩師が幼少期のムッタに教えた言葉だが、ムッタが困難にぶつかるたびに、この台詞に従って行動を移す。

そして、その結果は往々にしていい結果に繋がる。

あるシーンでは、ムッタは自分の宇宙にいくという夢を棒に振ってしまう可能性が高まるのにもかかわらず、この指針に従って決断した。

漫画だから全部うまくいくと思うかもしれないが、私は実世界でもこれと似た経験をしたことがある。

私も就職先で迷った時、楽しそうだなと感じた方に行くことを決めた。

周りは、給料もブランドも良い方を蹴るなんておかしいと反対もしていたが、

自分の気分がそっちは昂らなかった。

結果、今自分は楽しく働いているし、もし違う選択をしていたら、ここまで楽しんでいないだろうなと思える程だ。

結局は自分が下した決断に「どれだけ楽しめるか」というのが重要なのである。

自分が行なった決断に楽しめていれば、結果的に良い方向に物事は進むのだ。 

 

このように、宇宙兄弟は人生で自分の背中をそっと押してくれるエッセンスが数多く詰め込まれている。

是非手に取ってもらいたい。

牛丼が経済の行方を握っている

自民党が大勝して、またアベノミクスが今までのように、いや、今まで以上に進むこととなった。
 
端的に言うと、アベノミクスは市場の貨幣量を上げて、人々の賃金を増やす。
 
お金に余裕が出た人々は、そのお金を消費しまくる。
 
結果、市場にお金が周り始め、物価も上がり、経済が活性化されていく。
 
そんなシナリオだ。
 
つまり、物価が増える際には、自分の給料も増えてなければいけないのだ。
 
選挙の裏で最早地味になってしまったがつい最近、牛丼の価格が上がった。
それも、一気に80円上がった。
300円から380円へおよそ、27%増えた。
それに対して、給料も同じくらいあがっているのか?
答えはノーだ。
 
 
この指標にあるように、物価の上昇率に較べて賃金はそこまで上がっていない。
つまり、計画されたモデルが実行されていないのだ。
この状態がこのまま続けば、給料が上がっていないのに、物価が高くなって、生活が苦しくなるという未来を招くことになる。
 
このような状態になっているのも、日本の構造的問題を未だに抱えていること。
そして、それらに対して、抜本的な改革が進んでいないことが挙げられる。
 
つまりは政治頼みになっていて、個人ではどうしようもないと嘆く人もいるかもしれない。
 
しかし、個人レベルでも実は我々が出来ることはあるのだ。
 
それは、資産運用や、自分の貯蓄をどこの国に投資しておくかというテーマに関わってくる。
 
次回以降でそれを掘り下げて書いていきたい。

「思えば招く」チャンスを掴み取る最も簡単な方法

久しぶりに面白い話を聞くことができた。

心が奮い立たされて、自分の価値観がグワンと変わった。

特にお金への考え方、自分の人生のゴールへの考え方はまさしくその通りだと思った。

「お金で買える夢は結局誰かが自分にやってあげてくれてること」

「思えば招く」

 

普段当然だと思っていることが本当に正しいのだろうか?

人生を思いっきり楽しむには、どうすればいいのか?

そんなことを考えるきっかけになる。

 


Hoping invites | Tsutomu Uematsu | TEDxSapporo - YouTube

 

この動画を見て自分もあることを思い出した。

それは、中学校で渡米したことだ。

 

もともと、自分は海外で生まれて、小学3年生で日本に戻ってきた。

小学校を卒業するときにもなると、自分のルーツが分からないことが凄く嫌だった。

自分の生まれた場所も、育った場所も記憶にない。

そりゃ、小学校3年生だから記憶がないのは当たり前だけど、

それでも、昔自分が居た場所の景色をもう一回みてみたい。

もう一回その場所で暮らしてみたいなと思っていた。

 

そして、中学校1年生の春、父親の海外転勤が決まった。

目から鱗だった。

とんでもないチャンスが舞い降りてきたと思った。

僕は迷わずにその切符を手に取ることにした。

 

「チャンスは準備していた者に訪れる」

という有名な言葉があるけれど、その通りだと思った。

チャンスがきてから考えるのでは遅いのだ。

それが訪れる前に充分考えておくこと。

それが、チャンスを活かすのことにつながる。

植松さんの「思えば招く」を聞いて改めてそう思った。

「誰かに褒められたいから」そんな理由が働きがいだっていいじゃないか

 
 
今日は部長が会社の指示で僕たちに働きがいについてプレゼンしていた。
 
そのプレゼンはディスカッション時間が設けられてて、皆が自由に各々の意見を発言していた。
 
「誰かに褒められると嬉しい」
それが働きがいだと主張する人がいた。
最初僕はそれを聞いた時、なに言ってんだと思った。
そんなんじゃ、いつまでも自分のモチベーションが外的要因になっていて、モチベーションが安定しない。
もっと自分の中に明確なビジョンを持ってそれに対して向かうことでモチベーションをあげなきゃでしょと。
 
その考えを立証するかのように自分の過去を振り返った。
しかし、出てくる記憶は往々にして他の人から褒められてモチベーションが上がった時だった。
自分の考えと、過去の自分の感情との違いに戸惑いを感じた。
 
そこで、思った。
あーなるほど、さっきの内的要因が必要だって考えたのは僕じゃない。
最近読んだ本に書いてあることだと。
世間では、他人のために生きるのではなく、自分の人生を歩む。
自分のやりたいことをやる。
そんな主張が世間では溢れているし、実際に行なっている人もいる。
 
20年前の日本では定着しなかった考えだろうが、インターネットが発達し、大企業がいつ潰れてもおかしくない時代では、そんな意見が出てくるのは不思議じゃない。
 
でも、やっぱり人ってのは誰かの役に立つと嬉しいものなのだ。
誰かに喜んでもらいたいから、誰かに認められたいから、頑張る理由が外的要因だとしても、それは立派のモチベーションの原点だ。
 
好きなことをやりなさい
自分の人生を生きる
 
十分に大切なことだ。
納得のいく人生を歩むには自分の声を聞くのは大切だ。
 
ただ、これが全てみたいになってしまい、独りよがりになってしまっては駄目だ。
 
本当に人が自分の能力を活かしきるのも他人のためだったりするからだ
 
だから、他人のために働くのがモチベーションの起因であってもいいのだ